「平坦で肥えた土地が宿命的に侵略者の魅惑を唆して来たウクライナを、17世紀から18世紀の終わりまで、ポーランドとロシア帝国の2カ国が分割、19世紀にはオーストリアとロシア帝国の2カ国が分割、第一、第二の両世界大戦中にはロシア、ポーランド、チェッコスロバキア、ルーマニヤの4カ国が分割した。ここは、1991年にソビエット連邦が崩壊するまで、一度も独立した事のない国だったのである。
暴動、内戦、ポーグロム、飢餓、粛清、ホロコスト
アンナ
· レイド女史はウクライナの歴史を一冊の本に纏めるに当たって、ボーダーランドと言う地勢の特異さがその土地の受け継いできた遺産、− 暴動、内戦、ポーグロム、飢饉、粛清、ホロコストと言う歴史をつくり上げた事を指摘。その特異性が更には、そこに住むものに共同体を持つと言う自覚のない、希薄で曖昧な国家意識しか残さなかったと言う。
人の住む土地の地理的環境がその人々の政治的な生活に与える影響が大なる事は当然の事である。当然ではあるが、あまりにも悲惨で極端な暴力の歴史を持つウクライナを語るものは、その地理的特異性を持って説明せざるを得ないほど、残忍な過去を持つ国柄だと言う事だろう。
国柄と言う言葉すら使いがたい。国と言う国体ができてから未だ10年の年月しか経っていないのだから、共同体としての統一性、そしてその自覚がないのも当然である。そこに住むものを代表する言語、習慣、宗教、規律と言うものに「自覚」がないのだから。
ウクライナ語という古くからの言語は成るほどある。しかしその言葉を使用して生活に必要な意思の疎通を図る人口に限度があり、同じウクライナ人とは言いながら他の言葉を使って生活が成り立っている共同体が別にあるところでは、ロシア語を話す隣人達は必ずしも異邦人ではないのだ。
ぼく個人の心境を語ることが許されるならば、ウクライナは未来の国であると言いたい。いまは未だ個性のない赤子みたいなものなのだから、年を経て成長し、無事成年するよう祈るしかないものである。
アンナ · レイド女史は面白い事を指摘している。ウクライナ国の隣国の人たちはウクライナ人という国民が居ることに実感をもっていないと言う。ロシア人に言わせれば彼らはロシア人で、ポーランド人に言わせれば彼らはポーランド人なのだから。
ぼくにはるばる最新のロード·マップを持ってきてくれたウクライナ人の学生、ブラドミル君を相手にぼくは、ウクライナの未曾有な将来性を語って聞かせたことがある。
「肥えた土地に恵まれた大平原があるのだから、国の経済を支えるのは交通機関の機動性である。先ず高速道路を施設して、都市から都市の距離を短縮すること。高速道路沿岸の町村にガソリン·ステーションを増設して市民が自家用車を持てる環境を作り上げる。市民一人一人の生活が豊かになれば国も豊かになるのだから。」
ぼくはこれでも熱弁をふるっていたつもりだったのである。しかし、ブラドミル君のほうは、一向に熱してこないのである。黙って聞いていたが、とうとう、呆れて物が言えないと言う目つきでこういった。
"You
don't understand, Mr. Yamaguchi"
今考えれば、ぼくが無知だからこそそんなことが言えたのであった。しかし、そのときは、さすがに白けたぼくの態度を気の毒に思ったのか、こういいなおしてくれた。
"You
don't understand their mentalities."
彼の言うのには、ウクライナの生活は百年一日が如しで、百年前の生活がいま尚続いていると言うのだ。そんな生活のある人たちのメンタリチーに訴えて、フリーウェイとかガススタンドのアイデアを与えても、マイカー需給の促進に結び付けようがないと言うのだ。
ぼくはふとマリー·アントワネットが言ったと言う逸話を思い出していた。
「貧乏人はおなかを空かしていると言うが、おなかが空けば、おやつを食べればよいのに!」
アメリカと言う恵まれた国で生活するのに慣れてきたぼくみたいなものが、ウクライナと言う悲惨な過去の洗礼を受けてきた土地に住んできた人たちを理解しようとしても、それはマリー·アントワネットのメンタリチーになるほど、ぼくらは幸わせだったのだろうか。